日中台外交を考える

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社会システムが日本に近い台湾を袖にして中国と近づくのは変なんだよねぇ。
目先のことだけじゃなく、長期スパンできっちり展望を持ってやってもらいたいものです。
それと戦勝国でもなければ負担金もほとんど払っていない中国が国連の常任理事国にいるのも変だと思うし、一部の国が正義を振りかざして拒否権を持つ今のシステムは非常におかしい。どうにかならんものだろうか?
やっぱり一度リセットして一から国際組織を作り直すしかないんだろうか?

■中国の土俵に乗り、台湾を見捨てる

≪対中平和条約の複雑さ≫
 日本は蒋介石政権と戦い、蒋政権を一員とする連合国に降伏した。従って対中平和条約は蒋政権と結べば足りたはずだが、その段階で大陸に中共政権が成立しており、台湾の蒋政権と正統性を争っていた。冷戦構造の中で、日本に中華人民共和国と平和条約を結ぶ選択肢はなかった。だから日本はサンフランシスコ講和条約のあと、台湾の中華民国と日華平和条約を結んで「中国との戦争」に決着をつけた。
 ただし、日華平和条約の適用範囲は「中華民国政府の支配下に現にあり、又は今後入るすべての領域」(交換公文)に限定された。だから中華人民共和国との国交や平和条約締結が懸案として残ったのである。
 その機会がニクソン訪中で巡ってきた。だが東西冷戦を背景に「一中を争う二中」の双方と国交を結ぶのは至難の業であった。
 日本外交には、戦前戦後を通じて一大欠点がある。原則がなく、相手の原則に振り回されるのである。昭和16年の日米交渉で門戸開放・善隣友好・主権領土尊重の原則を出す米外交に「特殊権益」で対抗した日本がどれだけ振り回されたことか。
 日中国交交渉でも中国は「復交三原則」を持ち出した。中華人民共和国政府は中国を代表する唯一の合法政府▽台湾はその不可分の領土▽日華平和条約は不法・無効?である。
 ここで日本外交は健闘した。第1項は承認、第2項は「理解し尊重する」が承認せず。第3項では日華条約有効論を貫いた。

≪日本外交の誤認と拙速≫
 問題はこの先である。日本側は状況誤認と拙速で、台湾切り捨ての汚名を残すのである。
 誤認の第1。ニクソン訪中の意味を読み誤る。敗戦後、日本人は経済一辺倒となり、各国の行動も経済動機でしか判断しなくなった。ニクソン訪中は中ソ対立に乗じて中国と結び、ソ連を牽制(けんせい)するのが目的である。それを「米国が中国市場に目をつけた」と読み、財界が「バスに乗り遅れるな」と逸(はや)った。
 日本の世論は日中国交に賛成だが、中華民国とも国交継続を望んでいた。それを財界は「中国市場は大きいから、台湾を切ってでも中国と国交せよ」と政治家に迫った。中国の意向に沿え、というのだ。
 中国が台湾との断交を迫るなら、せめて一度は破談にして帰国すれば良かった。これで日本は信義に厚い国という実績が残せた。  誤認の第2。中国の内情を察知せず。中ソ対立が高じてソ連の核先制攻撃の危機に曝されていたから「敵の敵」の西側との連携が焦眉の急だった。こういう相手の実情を把握しなかったため「中国に国交をお願いする」形になった。
 秀才外交は物分かりが良すぎて粘りが足りない。「中国と国交を結ぶには、台湾と断交するほかない」と先回りして考え、道義を捨てた。そうであっても「新しい友を作るため古い友を捨てはしない」と言い続け、断交は相手にさすべきだった。
 「中国は一つ」は中国と蒋政権の立場である。日本は「どの国とも友好を貫く」と言い続ければ良かった。

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このページは、masashiが2007年10月 9日 07:45に書いたブログ記事です。

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