性 別 |
男 |
現住所 |
愛知県安城市 |
誕生日 |
1973年04月02日(月)・・・父親と同じという珍しいパターン(笑) |
血液型 |
A型・・・2親等以内で知ってる限りはみんなA型なのでたぶんAA |
出身地 |
大阪生まれ、大学卒業まで大阪で育ったこてこて(?)の大阪人 |
座右の銘 |
自分の常識は他人の非常識(と思っていたほうがうまくいくから) |
趣 味 |
映画, 音楽(聴く方のみ、自分でやる方は才能のかけらもないのでやったことはない),
食べ歩き, ドライブ, 旅行, 読書, テレビ, インターネットなどなど |
自己分析 |
基本的に何があっても慌てることはなく(慌てても良いことはないから)、あまり感情が表に出ない。
即決・即断が基本。従って仕切り屋。 |
スポーツ |
現在、唯一するスポーツはスキー。
昨シーズンは一度も行けずじまいだったので、今年は意気込みをこめてブーツを新調。
ばんばん行けたら良いなぁと思ってます。
お近くにお住まいのスキー好きの方、行かれるときはぜひ声をかけてやってください。
人見知りは全くしませんので、初対面でもまず問題はありません(爆)
昔は小・中学校の時には剣道を習いに行っていたが、なぜ習い始めることになったのかはよく覚えていない。
8段の立派な(剣道の腕だけじゃなく、人間的にも)先生が2人もいて教えてもらっていたが、あまり好きではなく(スミマセン)、中2で初段を取った直後に受験勉強を理由に辞めた記憶がある。(だからって真面目に受験勉強したわけじゃないが) |
嗜好品 |
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アルコール |
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なぜだかザルとか枠とか言われるが、本人的には限界が来る前にセーブしてるだけのつもり。飲んでハイになることもないし、記憶を失ったこともない。宴会で騒ぐのは好きだが、アルコールそのものが好きなわけではなく、普段飲まないから、肝臓のダメージが蓄積されていないこともあるのだろうか。
今まで唯一やられたのは醸造用アルコールが添加された日本酒。これだけはコップ1杯でかなり気持ち悪くなることが確認されている。
そういったことでうちにはアルコール類の備蓄はない。来られる時は準備するので事前に連絡されたし。 |
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タバコ |
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子供の時に喘息持ちだったし、興味もないので吸ったことはない。
小学校の時だったと思うが、母に「(大人になっても)タバコは吸ってはダメよ」と言われた時に、「金払って病気を買うつもりはない」と言った記憶がある。(我ながらかわいくない子供だ)
したがってうちには灰皿は用意されていない。(家の中は禁煙)
外で吸ってもらう分にはなんら問題ないので、うちに来られる愛煙家の方には携帯灰皿を持参されることをお勧め。 |
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出没場所 |
あたりに良く出没する。 |
仕 事 |
某自動車部品メーカーのエンジニア。(機械も電気も両方やってるつもり)
#たまに勘違いされるのですがわたしはシステム管理者じゃありませぬ。(きっぱり) |
記 録 |
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2歳半まで |
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愛染橋病院(大阪市浪速区)で朝8時過ぎに生まれる。3800gぐらいあったらしい。2月後には7kgぐらいまで巨大化し、検診でよく育ってるとほめられたらしい。住吉区(大阪)の市営住宅に住んでいた。
この頃の記憶と言えば、叔母(母方)が同じ市営住宅に住んでいたのでよく遊びに行ってかわいがってもらったことと、としごの弟と夜に遊んでいたら、私が背にしていた窓ガラスに映った自分(弟)の姿が敵に見えたのか突然窓に突進してガラスを突き破ったことを覚えている。この時母は気が動転したのか救急車を呼ぶわけでもなく、自分で抱えて病院まで走ったらしい。 |
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天王寺へ引越し |
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親父が自営業で1.5トン積みのトラックがあったので、叔母夫婦に手伝ってもらって引越し。その時叔母の家で子供は遊んでいて、なぜか引越しが完了してからも一週間ぐらいだろうか叔母の家にいた記憶がある。自分が新しい家に行ったときは応接セットが搬入されているところで、リビングで親が部屋に合わせてカーペットをはさみで切っていたのも記憶しているので、片付けが終わるまで預けられていたように思う。 |
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幼稚園時代:大阪市立五条幼稚園 |
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お昼は弁当で、嫌いなものが入っていたらアルミホイルなどで隠してチェックをかわしていたように記憶している。やっぱりかわいくない子供だったようだ(笑)
兄弟(姉と弟の3兄弟)揃って小児喘息で、親によく病院に連れて行ってもらった記憶がある。 |
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小学校時代:大阪市立聖和小学校(1986年卒) |
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子煩悩な親父に連れられ、弟と一緒にあちこちいろんなものを食べに連れて行ってもらった記憶がある。唯一の苦い思い出は、いつものように弟と一緒に連れられてに行ったラーメン屋でチャーシュー麺を食べた夜、自分だけ食あたりして夜中に救急病院に運ばれた記憶。これがトラウマになり、豚肉のあの独特のくさみがダメで気持ち悪い。今も豚はまともに食えない。(角煮とかくさみのないものは食える)
喘息は10歳ぐらいのときにほぼ完治していたように思う。 |
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中学校時代:大阪市立天王寺中学校(1989年卒) |
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健康だけがとりえだったが、一度だけインフルエンザにかかる。
この時母(看護婦)に「寝てれば直る」と言われ、弟と2人して40度近い熱があったにも関わらず、苦しいこともなかったし食欲もなぜか普通にあったので病院に行かなかった。(母が病院からもらってきた薬は飲んだけど)
そのため診断書がなく、本来公休のはずが普通に休んでしまった扱いになり、惜しくも皆勤賞を逃す。インフルエンザのときは皆さん、素直に病院に行きましょう(^_^)
最大のイベントである受験は、親父がゴルフ帰りに酔っ払って願書を取ってきたことが発端でなんとなく受験した同志社香里を受ける。「お前は勉強なんてするたまじゃないから、ここ受けとけ」と言うのが当時の親父談。
試験を受けるときにやたら家から遠く感じられ、滑り止めの帝塚山に受かっていたこともあり回答に名前を書かないでいたら、答案用紙を回収するときに試験管から「名前を書き忘れている」と指摘されて書いた記憶がある。当然そんな状態だから回答もかなり手抜きだったわけだが、それが功を奏したのか受かる。
そういったことで公立高校は受験していない。が、年寄りうけするのだろうか、音痴で楽譜が読めない上に楽器もダメなのに音楽の評価は10段階の8、苦手な英語も9、それ以外は全部10だったから少しもったいなくて、公立を受ける人と評価を入れ替えれば良いと思った記憶がある。 |
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高校時代:同志社香里高等学校(1992年卒) |
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通学に1時間以上かかることもあり、後にじじくさいと言われる朝6時起きが習慣となる。
内部進学がお決まりのパターンで周りが誰も勉強してない、制服もなく私服なんていう素敵(?)な環境だったため、全く勉強した記憶がない。(自爆)
親父が同じ高校の卒業生ということもあり、親父の周辺からいろいろ噂は聞いていたが、競馬場に通うやつとか、雀荘に入り浸ってるやつ、バイトがわりにパチンコ・スロットに勤しむやつを実際に目にした時はやはりカルチャーショックだった。
すでに時効だと思われるのでついでに。誰に習ったわけでもないのに、なぜか自信満々で親の車のキーを拝借して勝手に乗りまわす。幸い事故を起こすこともなく、警察にご厄介になることもなかったが、親にはバレバレ。18の春に親に言われて免許を取得。(当然親のお金で。ありがとう>親)
まともにスキーを始めたのも免許を取ってから。 |
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大学時代:同志社大学電気工学科(1996年卒) |
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バイト(ディスカウントの薬店で。いまだに薬がどーのこーのと言うのはこの時覚えたもの)に明け暮れる日々で、高校時代と同様全く勉強をした記憶がない。理系だからレポートも多かったが、電車に揺られながら書いたこともしばしばで、きっとろくでもない出来だったはずだ。
4年になったときに就職活動を始めてはみたものの、少しは勉強しとかないとと血迷って大学院を受験。試験が終わった時点で問題を見直してたら設問の意図を勘違いしていることに気付き、へこんでるところに通知(=不合格)が届いて親父に追い討ちをかけられ、さらにへこむ。
そんな状態で仕方がないのでまた来年にリベンジするかなと思い、家でぼーっとして過ごしていたらたまたまその年の就職担当だったゼミの教授から「推薦で滑ったやつがいて枠が空いてるから受けて来い」と電話で言われる。慌ててスーツ、かばん、靴を買って面接に挑んだら運よく受かる。だから就職活動で苦労した記憶はない。(就職難だったから苦労してた周りのやつらには申し訳ないが)
ちなみにゼミの教授からはよく思われていなかったはずなので、自分のところに話が来たのはいまだに謎。ゼミのツレから「あいつやったら受かるはずや」と教授が言ってたと後から聞いたが、やっぱりこれも意図が不明のままだ。
そんな学生生活だったが運良く留年することもなく、狙ったわけじゃないが卒業に必要な単位ピッタリで卒業。優と良と可がきっちり1/3ずつという成績で、会社の面接で「不思議な成績だね」と突っ込まれた記憶がある。 |
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社会人になってから(1996年以後) |
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名古屋は3大都市圏だと勝手に思っていたわけだが、笑っていいともの増刊号が1週間遅れだったり、繁華街(栄)の店じまいが思いのほか早く、カルチャーショックを受ける。(あと、何でも味噌ってのも)
配属されたのが最寄駅から歩いて行ける本社ではなく、車がないと生活ができないところだった(住所に“字”が2つも入っていた)のがカルチャーショックを増幅させたが、おかげで無駄遣いがなく貯金は結構良いペースで増やすことができた。>家を建てられた理由(笑)
仕事のほうでは、エンジンを分解してみたり、車を改造してパソコンで走らせてみたり本社だときっと経験できないと思うことを経験させてもらうことができた。それが後に市販車に採用される製品の開発に繋がっているのだと思う。 |
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家を建てる(2004年) |
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めでたく(?)会社の寮の入寮期間を満了通知が来る。どこか借りるかと思ったんが、借りると好き勝手できないということと、家を建てても毎月の支払いが大差ないと言うことで独身なのに勢いあまって家を建ててしまう。(-_-;)
■2004年7月30日入居
と言うことでいまだ嫁さん募集中です(-_-;) |
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