考えがあわないと批判するの?

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愛・地球博について、体験して見所を書いているblogがあるのですが、
開催の是非について問い詰めてくる人が…: 中島ひな的ブログ - HINALOG
にあるように、自分の考えに合わないからと言って批判する人がいるそうです。

あくまでも個人的見解として書いておきます。

私は常々、人の考えや主義主張には良い悪いは言う必要はどこにもなくて、人がどう考えようがそのこと自体をとやかく言う権利は他人にはないと思っています。
今回の件についても、今の時点で万博の存在を否定しても何も生み出すことは出来ないわけで、むしろ閉幕後にあの地をどうしていくか議論していくべきだと思っています。無論その場合も、10人いれば10通りの考えがあるはずで、出てきた意見の中でどれが良いか、他人の意見を否定するのではなく、考えそのものは受け入れた上でどうしていくのがベストなのか、それを探っていくのが正しいやり方ではないでしょうか。
私が“自分の常識は他人の非常識”という言葉を座右の銘にしているのはそういうことで、色々な人の意見を聞くことで自分自身も色々な考えを知ることが出来るし、人間としての幅も広げることができると思っているからです。

また、ある意味他人の考えを批判することしかできない人はかわいそうな人だとも思います。
そう思う理由は簡単で、自分の価値観でしか生きることができなくてそれ以外の世界を知ることができない人だと思うからです。これは人種差別をする人も同じで、人間の度量の小ささを感じます。

なんか書き方が不味かったようで・・・
法律厨に起こった出来事の批判とは?で、

考えが合うなら最初から批判をしません。だとすれば、批判は考えが合わないときにだけされるものです。そうすると、結論としては「意見が合わないからといって批判をするな」ということになります。これはとても賛成できません。
勿論、批判されることは気持ちの良いものではありませんが、これは受忍しなければなりません。意見の是非などは全て批判と言う別の言論に晒されることにより、当不当、是非などが見極められていきます。他方、批判に対しても、再反論、別の視点からの批判により、その批判そのものの是非が議論され、それが不当であるならば、元の意見の正当性が推認されていくことになります。こうした議論による、より良い内容の追求というのが、言論の自由が目指す理想ですから、批判そのものを否定することは言論社会そのものの否定になります。
とあります。もちろんこれはその通りで、意見が合わないときは自分はどう思っているか意見を述べ、その意見に対してどう考えるかを議論することには問題を感じません。
ただ、自分の反論が受け入れられなかったら相手の存在そのものを否定するような行動を取る人がたまにいるわけですが、そういった行動には賛同出来ません。うまく表現しにくいのですが、自分の意見が通らなかったら何らかの手段をもって相手を痛めつける といったやり方には問題が多い そういう意味合いです。
今回の件では“メールで頭ごなしに批判されている”と言うところに問題を感じるので取り上げさせてもらいました。
それとここに書いたものはあくまでも私個人の意見であって、他人にも同じ考えを押しつけるつもりはありません。なんだかうまく書けませんが、意見を述べて議論することはOK、単に批判だけして押しつけるのはNGと言うことなんですが・・・

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法律厨に起こった出来事 - 批判とは (2005年4月 4日 02:18)

http://www.horijp.com/blog/archives/2005/04/post-57.html 考えが合うなら最初から批判をしません。だとす... 続きを読む

http://www.horijp.com/blog/archives/2005/04/post-57.html 釈明された内容とそれ以前の内容が一致しないと... 続きを読む

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このページは、masashiが2005年4月 3日 19:33に書いたブログ記事です。

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